皇帝復帰とBMW撤退

HONDA移籍後に急速に悪役キャラを身につけたブラウンのルーベンス・バリチェロのバカったれの落としたスプリングが当たったことで、200km/hでタイヤバリアに激突し、重傷を負ったフェリペ・マッサに代わり、8月下旬にスペイン・バレンシアで行われるヨーロッパグランプリから2006年に引退した皇帝・ミハエル・シューマッハが現役復帰することになりました。

マッサの代役としては、バレンシア限りでルノーの出場停止により母国でのグランプリに出走できないフェルナンド・アロンソをドライブさせるとか噂はありましたが、もっと驚きのシューの現役復帰が決まりましたね。

今シーズン未勝利のフェラーリフェラーリを駆って黄金時代を築いたシューマッハがどう走らせるか、楽しみですね。

シューマッハは、1991年後半、当時ぼくの大好きだったF1ルーキーチーム・ジョーダンGPのベルトラン・ガショー刑事告訴を受けたことにより出走できなくなった代役として8月のベルギーグランプリにジョーダンから出走。1周出来ないでリタイヤとなりましたが、予選7位の成績に目を付けたベネトンが強奪し、ロベルト・モレノとのトレードでベネトンに移籍し、そのイタリアGPで5位に入賞しました。
自分的には因縁浅はかならぬ選手ですね。
その騒動があったので、若い頃は嫌いな選手の1人でした。


翌年1992年は12戦ベルギーGPでF1初勝利。チャンピオンシップでも優勝1回でランキング3位。
1993年は1勝ランキング4位、1994年開幕7戦で6勝。開幕から独走するシューのあまりの速さに焦りを感じたセナが、サンマリノで事故により命を落としました。この年は結局8勝で見事初のドライバーズチャンピオンに輝いています。翌1995年は9勝で2年連続ドライバーズチャンピオン。

1996年にフェラーリに移籍し、低迷していたチームを立ち直らせ3勝をあげランキング3位にはいると、1997年5勝で後に剥奪されたもののランキングは2位、1998年6勝2位。1999年2勝5位。
そして2000年〜2004年まで5年連続でランキング1位に輝きます(9勝、9勝、11勝、6勝、13勝)。圧巻は2004年の18戦中13勝ですね。
そして2005年2005年1勝ランキング3位、2006年7勝ランキング2位で2年連続フェルンド・アロンソにチャンピオンシップを譲ったのを最後に、ヘルメットを脱ぎました。

シューマッハの残した記録としては、
・ドライバーズチャンピオンシップ獲得7回(歴代1位)
・通算優勝91回(歴代1位)
・通算ポールポジション獲得68回(歴代1位)
・通算ファステストラップ獲得76回(歴代1位)
・通算ポールトゥウィン獲得40回(歴代1位)
・通算表彰台獲得154回(歴代1位)
・通算入賞190回(歴代1位) 2002年第15戦イタリアGPでプロストの通算128回を更新。
・通算獲得ポイント1369pt(歴代1位) 2001年第17戦日本GPでプロストの通算798.5ptを更新。
・通算決勝完走197回(歴代1位) 2003年第10戦フランスGPでプロストの通算143回を更新。
・通算決勝周回13908周(歴代1位) 
・年間優勝13回(歴代1位)
・年間ファステストラップ10回(歴代1位タイ)
・年間表彰台獲得17回(歴代1位)
・年間獲得ポイント148pt(歴代1位)
・ドライバーズチャンピオンシップ連続獲得5回(歴代1位)
・連続優勝7回(歴代1位タイ)
・連続ポールトゥウィン獲得6回(歴代1位)
・連続表彰台19回(歴代1位)
・連続入賞24回(歴代1位)
・開幕連続優勝5回(歴代1位タイ)
とそうそうたるものです。
まさに生ける伝説ですね。

ぼくと同じ40歳の身体がどれだけF1に耐えられるかは分かりませんが、とにかく彼の走る姿を楽しみにしています。