中日ドラゴンズ 日本一

気分はこんな感じ。

昨晩、中日は3勝1敗で迎えた日本シリーズ第5戦を1-0で競り勝ち日本一を達成しました。中日の日本一は昭和29年以来53年ぶり。
8回までひとりのランナーも許さないパーフェクトピッチングを続けてきた山井から抑えの岩瀬への継投は、非情とも思われますが、完全試合と日本一という2つのプレッシャーにさらされる投手のプレッシャーは並大抵のものではないと思います。そこを慮った落合監督の判断は見事と言うしか有りません。

続いた岩瀬も9回を3人でぴしゃりと抑えて中日は見事日本一。ぼくはダーツ屋さんに向かう友人の車の中でラジオでそれを知りました。


ぼくは愛知県生まれで6歳まで東海市東浦町森岡台で育った。
森岡台にある幼稚園では帰りの時間になると園児は講堂に集められて、僕らは「燃えよドラゴンズ」をみんなで歌ってから家路に着いたものです。

僕が生まれてからの優勝は74年、82年、88年、99年、04年、06年と6回。
74年は5歳のとき、監督はウォーリー与那嶺で主力は高木守道、星野、マーチン、谷沢。(ロッテに2勝4敗)
82年は中学1年のとき、監督は近藤貞男で主力は田尾、平野、中尾、大島、モッカ、宇野、谷沢、郭源治がまだ先発で抑えのエースは牛島。最終戦で大洋を下して優勝。日本シリーズの東尾との対決が思い出深くシーズン終了後星野仙一と木俣が引退。(西武に2勝4敗)
88年は高校3年生、星野仙一監督、4月に最下位、中盤の7月に6連敗を喫しながらその後50勝15敗3分というとんでもない勢いで勝ち続けて逆転優勝、ミラクル竜と言われました。小野和幸*1最多勝。小松の全盛期。(西武に1勝4敗)
99年は第二次星野時代の全盛時代。開幕11連勝の中心は野口、川上、山本昌、武田の先発陣と、岩瀬、サムソン、落合のセットアッパーからソン・ドンヨル(宣同烈)のリリーフという超強力投手陣。(ダイエーに1勝4敗)
04年(西武に3勝4敗)、06年(日ハムに1勝4敗)は皆さんの記憶にも新しいでしょう。ドラゴンズ愛の全くない山田久志にずたずたにされたチームを、落合が見事に立て直しての優勝です。

しかしながら、日本一は実に昭和29年から53年間もなっていなかったのです。これは最も長い間日本一になっていないチームだとのこと。
中日の場合は、セリーグで巨人を凌駕することに全精力を使い果たしてしまいますので、日本シリーズはほぼ期待できなかったのですが、落合が監督になってからそういったシリーズに対する苦手意識と言うのがなくなってきたように思います。

なにせ87年版までの「燃えよドラゴンズ」には以下のような歌詞があるのです。

つばめ落として鯉釣って
虎を鯨を捕まえて
そしてにっくきジャイアン
息の根止めて優勝だ

「息の根止めて」の部分が「ひねりつぶして」だったりもするんですが、巨人は常に「そして」付きの特別扱い。


中日の4番を取り続けたとはいえ、その前にロッテ、その後の巨人の印象も強い落合ですが、ドラゴンズに誇りを取り戻してくれたことは本当にありがたいと思っています。
ありがとう、落合博満!!

*1:懐かしいな