セレッソ・森島、引退へ

セレッソ大阪のモリシことMF・森島寛晃(36)が引退を本日発表する、とスポーツニッポンが報じました

首痛回復せず…C大阪・森島が引退
J2C大阪のMF森島寛晃(36)が今季限りでの引退を決意したことが29日、明らかになった。昨年3月に原因不明の首痛を発症して以来、必死のリハビリに努めてきたが、思うように回復しなかったことから現役を退くことを決めた。30日にも正式に発表されるが、今季最終戦となる12月6日の愛媛戦(長居)でのプレーが最後の雄姿となる。

小さな巨人が首痛を訴えてチームを離脱したのは昨年3月のこと。病院を転々として検査を繰り返したが、原因は不明のままで、痛みが治まっては再発する日々の繰り返しだった。「クラブハウスに来て仲間が戦っているのを見るのはつらい」と漏らし、昨季中に1度は引退を決意。この時はクラブ側の説得で翻意し「もう1度ピッチに立ちたい」と強い思いをのぞかせたが、今年に入っても状況は変わらなかった。

気力と体力は限界に達し、26日の仙台戦で来季のJ1昇格が絶望的となった時点で、引退を決断。近い関係者に引退の意思を伝えた。今季最終戦の12月6日の愛媛戦が“引退試合”となる見通しで、支えてくれたサポーターに感謝の思いを伝えることになる。日本代表としてW杯にも98年フランス、02年日韓と2大会続けて出場し、日韓大会のチュニジア戦ではゴールも決めた。日本サッカーの功労者が、惜しまれながらピッチを去る。

腰椎・脊椎・頸椎系の痛みはやった者にしか分かりませんが、つらいですからね。


2002年、折しもワールドカップイヤーにJ2に降格していたセレッソで、モリシは円熟期に入ったプレーを三ツ沢で見せてくれました。
1万人を超える観客を集めた、2002年ワールドカップ明けの第一戦、三ツ沢での横浜FCvsC大阪。
まだ疲れもあるだろう中で、積極的に動き回るモリシの姿は、敵ながら鞠が弾むような躍動的なプレーでわくわくする予感を感じさせる選手でした。
この試合、終了間際にこれまた売り出し中だった大久保に決められて横浜が惜敗した試合だったのですが、1万人の観客に清涼感を与えるような良い試合でした。


腰が低く、いつも献身的な働きで全力でプレーし、敵チームサポにも慕われたモリシ。
サインをユニフォームにねだられた時に、
「いいんですかね、ぼくなんかで。汚しちゃってすみませんね。」と言ったという逸話も残っています。
思えば、その円熟期にワールドカップに出ることが出来たのは、本人にとってもよかったと思います。


僕も本当に大好きな選手で、サカつくの自分のチームにはいつもモリシがいましたね。
横浜との試合にモリシがでてないと、ホントに残念に思いました。


モリシにはおつかれさん、どうもありがとう、と他チームサポながら言葉を贈りたいと思います。

森島寛晃 個人成績(リーグ)

森島寛晃 個人成績(代表)

  • 1998年、2002年ワールドカップ出場(2002年チュニジア戦で1得点)
  • 国際Aマッチ64試合12得点
  • 1995 9試合
  • 1996 11試合2得点
  • 1997 14試合5得点
  • 1998 3試合
  • 2000 10試合3得点
  • 2001 9試合1得点
  • 2002 8試合1得点

まさに記憶にも記録にも残る選手でした。