今日はクリスマスイブ。
クリスマスが近づくと今は行けなく(行かなく?)なってしまったある場所を思い出します。最後にそこを訪れたのは1997年の12月24日でした。

1996年の12月、南アルプス南麓の富士見町にある高森草庵というドミニコ会修道院にぼくは初めて足を踏み入れました。友達が手伝いなどをしていて、草庵周辺の水源地であり、草庵の聖地でもある大泉の近傍に計画されていたゴルフ場との訴訟和解のお祝いで設営の助っ人としてかり出されたのでした。

水道は件の大泉からおいしく冷たい水が引かれていましたが、電気は、母屋のみ宿泊するところへはろうそくと湯たんぽを持っていかなければならないと言う生活で、12月にはいると、朝になれば寝室においてある水には氷が張る環境でした。

ここで初めて、冬を過ごすための藁塀作りや畑のお手伝いなどを始めました。その年のクリスマスイブにはクリスマスミサもそこで行いました。
草庵の庵主・押田成人神父はそのころからお加減が悪く、ぼく自身何度も草庵へは足を運びましたが一度もお会いすることはありませんでした。
何もないところだけれども、夜の食事を終えた後、お酒も飲まずにそこに集まった人たちと話をする時間もとても楽しく、草庵で過ごす毎日はまさに東京での汚れを落とす毎日でした。

翌97年には、4月の苗床作り、種籾まきから、5月の田植え、9月の収穫、10月の稲刈り、11月には自分でまいた米を食べるというすばらしい経験もさせていただきました。
草庵のメンバーとも徐々にうち解け、気の向いた時にふらっとお手伝いに出かける時期が続きました。
その年のクリスマスイブは出会ったばかりの妻と草庵のミサに出かけました。
刈り取りの終わった田圃で二人でじっと空を見上げて、流れ星を待ったことも忘れられません。結局待つこともなく満天の星空は何度も何度も流れ星を見せてくれました。

そしてそれが結局最後の草庵になりました。翌年の冬にヘルニアを患ってしまい、田圃や力仕事のお手伝いが出来なくなったこともありますし、結婚で生活が変わったこともありましたが、草庵には毎年の年賀状と、時折送ってくれるお便りだけの連絡が続いていました。

今月に入り、草庵からいつもの「草庵便り」とちがって分厚い封筒が送られてきて、庵主である押田成人神父がお亡くなりになったことを知らせていました。
11月6日、慢性心不全で眠るようになくなられたそうです。
一度もあったことはありませんでしたが、著書やそして草庵を流れる暖かい空気から神父様の人柄をいつも感じ、草庵での自分、他人との対話でずいぶんと自らを律することが出来てきたと思います。そして知らず知らずのうちに押田神父様ともそこで対話していたんだと思います。

妻と一緒に星空を見上げてからもう6回目のクリスマスイブです。それでもイブの夜というとあの夜の星空や、礼拝堂でのミサや、その後のお食事のことを暖かく思い出します。

来年の春になったら、草庵を訪れてみようと思います。そして一度も会うことの無かった押田神父様と対話が出来ればと思います。

そんなクリスマスの思い出でした。