前園真聖引退

前園が引退を表明 サッカー元日本代表MF

前園の移籍騒動については松尾さんとこのご意見番に経緯が詳しいです。
コチラ

さらば、とはいえここ3年ばかりは日本にいないわけだし、しょうじきベルマーレ時代以来まるっきり彼を見ていないのですが。
1992年、横浜フリューゲルスに加入したゾノは1年目こそぱっとしませんでしたが、2年間に開花。加速がついたら誰も止められないドリブルで、フリエの中盤をエドゥ、山口とともに支配。フリエにとって欠かせない選手に育ちます。ポジションのかぶる反町(現新潟監督)を平塚移籍へ追いやるほどの働きをみせ、フリエでの戦績はリーグ戦102試合4得点。その後も94年にオリンピック代表入り&A代表入りを飾り、Aマッチでは20試合出場4得点の成績を残します。

そしてアトランタオリンピックで日本代表主将としてロナウドジュニーニョロベカル、ジダ、リバウドベベットがいるブラジルを破り、マイアミの奇跡と呼ばれます。しかしゾノのサッカーが狂い始めていったのもこの頃のことでしょう。
このとき一部の海外に名前を売り込みたい攻撃系選手たちと他の選手の間がギクシャクし、チーム崩壊、結局ナイジェリアに敗れ、決勝トーナメント進出が果たせなかったのですが、このときゾノも波風を立てる側にいたといわれます。

オリンピックで確かに名前の売れたゾノにはスペインのサラゴサ、セビージャをはじめ各国リーグからオファーが舞い込みますが、主力を手放したくないチームはオファーをことごとく拒絶、さらに所属事務所と肖像権関係でチームがもめたりして、結局ゾノは喧嘩同然にフリューゲルスを去り、97年からヴェルディ川崎へ。しかしこのころのゾノはすでにフリエ時代のような鋭さを持った選手ではなくなっていました。
98〜99年にはサントス、ゴイアスに留学、帰国後ヴェルディから平塚にレンタルされ、翌01年にはヴェルディ復帰。しかし試合出場に機会なくその後の2シーズンは韓国リーグに行ってました。

ゾノの選手としての賞味期限は4年間ととても短かったけど、その絶頂期をフリューゲルスファンとしてみてこれたのはとても幸せでした。セカンドキャリアでの彼の活躍を祈ります。