大友慧、

tatsumine2006-03-14

本日付のJFA発表の最新移籍リストによると、昨年まで横浜FCに在籍したMF大友慧のFC Reimsbachへの移籍と同じく横浜FCに在籍したMF杉本倫治の引退が明らかになりました。どちらも24歳。大友には輝ける将来が前途に拓けるよう、杉本にはどういった形であれ、サッカー選手ではない第二の人生が幸多いよう祈っています。

大友慧 横浜FCでの戦績

2004年 リーグ戦33試合1827分出場警告1、天皇杯3試合209分出場
2005年 リーグ戦20試合482分出場警告2、退場1

杉本倫治 横浜FCでの戦績

2004年 リーグ戦28試合1776分出場警告4、天皇杯1試合59分出場
2005年 試合出場なし

杉本は2004年にセレッソ大阪より加入。アテネ世代の五輪代表候補FWが出場機会を求めての加入ということで期待されました。SB、SH、ボランチ、FWとユーティリティっぷりを見せてくれましたが、いまひとつ突出するものがない印象の1年目を経て、さて一層の脱皮をと思った2005年は怪我が原因で、試合出場はゼロ。戦力外もやむなしと思いましたが、そのまま引退というのは残念です。


そして、大友。大友は仙台時代の印象(89試合15点)が強烈なサンパウロFC留学経験ありのFWとして同じく2004年レンタル先の鳥栖からジェフェルソンとともに加入。
サイドハーフという臼井(現・山形)とかぶるポジションでしたが、そのため左サイドに回されましたが、開幕戦から縦横無尽に駆け抜け行ったきり戻らない勢いあるドリブルで、右臼井、左大友という脅威の両サイドを形成。
折り返しの22節川崎戦で太ももを痛め30節まで7試合欠場しましたが、終盤には完全復活。
2005年シーズンも臼井とともに両サイドを駆け回ってくれるものと確信していました。
ウタカタMVP選出でも出場時間を満たしていませんでしたが、通算6.04と出場時間のみたなかった選手の中では最高得点を獲得していたほどです。

しかし、臼井は山形へ。大友は、守備が苦手でスタミナがないという点で足達前監督のお眼鏡にかなわず、前半はサブに入って、ゲーム終盤にサブとしての出場機会しか与えられず、後半戦はサブにも入れないという屈辱的な扱いを受けました。ぼくの見る限り出場した試合では与えられた時間で、どの選手よりも可能性のあるプレーを見せていたにもかかわらず。

そして、足達監督の留任とともに、予想通りの戦力外通告…。シーズン最終の湘南戦後、すでに戦力外通告を受けた大友がゲートの外で市のキャンペーンでごみを集めている姿、それが悲しくて、大友に駆け寄って握手してもらったとき思わず涙が止まらなくなってしまいました。05年も今年も来年も大友の姿を見ていたかったと思うと悔しくて悔しくてたまらなかったですね。

横浜での大友の活躍の場を奪ってしまった足達前監督が早くも指揮を取っていない現状。もし、他の監督がシーズン終了段階で指揮を取ることが決まっていれば、大友は今でも22番をつけてピッチに立っていたかもしれないと思うと、本当にこの3ヶ月がろくでもないものだったと思わざるを得ません。


さてその大友の移籍先であるFC Reimsbach(ライムスバッハ)。ここにはすでに日本人選手が在籍していてブログを開設しています。27歳で1.FC Saarbrucken、1.FC Reimsbach、チェコのFC Bohemians Prahaでぷれーし、現在はドイツサッカー協会のコーチライセンスを取得し、ライムスバッハでプレーしながらユースの指導をしている選手です。

2月22日のエントリには大友も登場しています
ザールラント州1部リーグということですので、1部、2部、地域、地方に次ぐ5部リーグということになるでしょうか。
1929年のチーム発足ということですので、横浜の70年先輩に当たりますね。チームカラーは青だそうです。

またザールラントのサッカーチームにやたらと日本人プレーヤーがいるということを、おかきさんのカズアマタノツヅリで知りました。すげぇ。

このブログ、大友の活躍を知る上でも必見。ちなみに急いでトラバを貼ったらすでにワッショイさんが先着。早えぇ。
遠く離れたドイツへ行ってしまう大友ですが、ライムスバッハから日本に戻ってきていつか横浜で活躍してくれることを夢見て彼が戻ってくる日を待ちたいと思います。

がんばれアダモ!!