菅野 柏移籍

コメントできる状態にありません。
とも言っていられません。スゲのオフィシャルブログが本日更新されましたが、それは悲しい別れの知らせでした。

5年間の感謝をこめて(菅野選手のブログ)

今日はみなさんに悲しいお知らせをしなければなりません。

来シーズン、横浜FCを離れ柏レイソルでプレーすることになりました。本来ならば、このような話はもっと早く決断しなくてはいけなかったのですがリーグ戦終了後1ヶ月間、悩みに悩んだ末の結論です。

正直、一度は僕を育ててくれたクラブのために「残留」も考えました。ですが、一サッカープレーヤーとして、更なるレベルアップをすべく環境を変えてみたい、その機会は今しかないと葛藤の日々を繰り返しました。そして選んだ移籍の道。僕のわがままを許してください。

横浜FCのサポーターのおかげでここまでこれたことを本当に感謝しています。そして横浜FCでプレーしてきた5年間、サポーター、仲間と共に戦えたことを誇りに思い、これからも全力で挑戦を続けていきます。

菅野 孝憲

残留を考えたのなら残留して欲しかった。
残留を考えたスゲを引き止めて欲しかった。
スゲのためを思って笑って送り出そうなんて大人な態度は僕は取れません。
スゲの背中を見ながらサッカーを見るのに慣れてしまったし、スゲ以外がゴールマウスを守る姿はあまり想像したくありません*1

それぐらいスゲってのは僕に、僕らに愛された選手だって事。

新人賞受賞のときにも書きましたが再び書きます。
2003年に身長が低かったためか、トップ昇格を果たせずにヴェルディユースから横浜に加入したスゲは、2003年6月18日のアウェイ湘南戦でJリーグデビュー(1△1)。
デビュー7試合目の7月26日ホーム大宮戦では、開始直後にエリア外でハンドリングの反則を犯し一発退場。Jリーグ最速の退場記録を樹立。
2003年9月13日の福島での新潟戦では1-7の惨敗と、最後には自らの退場と屈辱を味わい、祖父の住む福島の地に錦を飾れなかった悔し涙にくれました。

こんなエピソードにも象徴される、公称179cm*2というGKとしては致命的な低さの身長をものともせずに、気持ちで守るアグレッシブなディフェンスで、横浜の脆弱な守備陣を1年目からガッツリと統率してくれて、あっという間に横浜の宝になってくれました。

明けて2004年、昨年ポジションを争った水原をヴェルディに追いやったスゲは、すでにハマの守護神として絶対的な地位を築きました。
思えば他チームに憎まれるあのスゲノタイムはこの年くらいからでしょうか?
2004年7月10日のサガン鳥栖戦では、88mの直接FKを見事直接ゴール。2006年にヴェルディのたかぎに破られるまで、Jリーグの最長ゴール記録の座を守りました。

2005年にはけが等もあり、シーズン終盤には小山にポジションを奪われることもありましたが、2006年には見事復活。
48試合全試合に出場し、横浜FCハマナチオを最後尾で守り抜き、見事J1昇格の一番の立役者となりました。

今年も一人気を吐き、オールスターにも選出されるなど、新人王にふさわしい活躍を見せてくれました。

柏だと南の控えからスタートになります。
僕らが見れば南なんてスゲの足元にも及ばない選手です。
ただ、昨年は南自身ベスト11にも選ばれようかというほどの当たり年で、石崎監督の信頼も絶対のものあります。
その不利な状況を跳ね返す必要があります。
でも、スゲならきっとそれを跳ね返してスタメンの座をゲットしちゃうのでしょう。
そして代表のGKの座も射止めてしまうでしょう。

でもそうなっても決して忘れて欲しくない。
福島でスゲと一緒に悔し涙を流したのも、三ツ沢で歓喜の瞬間をともに過ごしたのもぼくらだった。
僕らにとってスゲは最高のGKで、最高の選手だった。
いつだって戻って来ていいんだし、いつか本当に帰ってきて欲しい。
どんなときでもぼくはスゲを歓迎する。
また一緒にゴールマウスを守る日まで、ほかのチームにスゲを預けましょう。
がんばれ!幸運を祈る!

*1:今はね。こーやん、岩丸ごめん

*2:おそらくは175程度ではないかな?