中田英寿、引退表明
プレミアリーグ・ボルトン所属の中田英寿選手が、自身のウェブサイト「nakata.net」で引退を表明したようです。中田の大ファンである友人はおそらく今頃悲嘆にくれていることでしょう。大ジョブですか?>AJさん
各ニュースサイトでも続々とニュースが速報されているところですが、現在のところnakata.netは非常に混雑しており、閲覧できない状態です。
ワールドカップの前から引退の意志を固めていたそうで、ブラジル戦後の燃え尽きた様子はまさに灰になった状態だったのでしょうね。
平塚で開花して、ペルージャで満開となった中田の才能は、ローマでのスクデット獲得という成果を生みましたが、スタメンの座を求めて移籍したパルマでのつまづきが、中田の選手としての魅力をスポイルしてしまったのが残念でした。
ボローニャに期限付き移籍して一瞬の輝きが戻ったものの、フィオレンティナではグロインペインで出遅れた上に不振の責任を取らされるかのように出場機会を失い、ボルトンでも屈辱的な扱いを受けていました。
ワールドカップ最終予選からセグンドボランチとしての可能性も見せており、さらに当然ながらまだ世界で戦える実力を備えている選手であり、大変残念です。
しかし、平塚時代から自らこの日の来ることを宣言し、そして実際にそのように行動したヒデ。
昔しゃべっていたように実際に公認会計士になるとは思えないけれども、クリンスマンのように海外に活躍の場を求めてスポーツマネジメントに携わったり、いろいろな可能性はあるでしょう。アメリカにビル持ってるらしいし。
翻意する可能性は低いと思います。
今は彼の決断を尊重し、12年間プロサッカー選手としてぼくらにすばらしいプレーを見せてくれたヒデに感謝したいと思います。
そして稀代の名選手の現役時代とシンクロできたことを本当に幸せに思います。
みんなの心の中にそれぞれの中田英寿が去来していることとおもいます。
僕はもう一度セリエAデビュー戦の2ゴールと、雨中のコンフェデでの地を這うFKを見たいですね。
中田英寿選手略歴
- 1991年 甲府市立甲府北中学校3年生時U-15代表選出。
- 1994年 山梨県立韮崎高等学校時代、Jリーグ11チームから獲得オファー。
- 1995年 ベルマーレ平塚に加入。ワールドユースベスト8。
- 1996年 アトランタ五輪代表。本大会ではブラジルに勝利、マイアミの奇跡と呼ばれる。
- 1997年5月 A代表デビュー。
- 1998年 フランスワールドカップ出場。セリエAペルージャに移籍。開幕戦対ユヴェントスで2得点。
- 2000年1月 ASローマに移籍。
- 2000年9月 シドニーオリンピックベスト8。
- 2001年6月 コンフェデレーションズカップ準優勝に貢献。
- 2001年6月 ASローマでセリエA優勝。
- 2001年7月 パルマに移籍。イタリア杯優勝。
- 2002年6月 日韓ワールドカップ ベスト16に貢献。1得点を挙げる。
- 2003年1月 ボローニャに期限付き移籍。
- 2004年7月 フィオレンティーナへ完全移籍。
- 2005年8月 イングランドプレミアリーグ・ボルトンへ期限付き移籍。
- 2006年6月 ドイツワールドカップに出場、グループリーグ敗退。
- 2006年7月3日 引退表明。