高木監督解任

朝日新聞夕刊に高木監督の解任報道。
今日の練習時間の変更はそれにともなう措置だ、とも。
さらにたった今オフィシャルのリリースがありました。

横浜FCでは、本日8月27日(月)をもって高木琢也監督(39)を解任し、後任としてジュリオセザールレアルジュニオール氏(56)の就任が決定いたしましたのでお知らせいたします。

ジュリオレアル監督は本日午後の練習よりチームに合流し、指揮を執っております。

どんな名前やねん!というツッコミはともかく、再開前、ダービー大敗後と解任のタイミングはあったろうに、何故今なのか、とまるで1年5ヶ月前、あだっつぁん解任の時と全く同じ感想を浮かべてしまいます。

ただ、あの時とは去って行く監督への評価が全く異なるのですが。
今の時期に、高木監督をかよ、と信じられない気持ちです。

高木監督は2006年3月7日に足達勇輔前監督に代わって監督就任。
J2リーグの第1節、新入会の愛媛FCに敗れた直後のことでした。このショック療法とも言える人事は、前年の不振にもかかわらず足達監督を留任させながら1節で解任する、という不手際から高木監督初采配の鳥栖戦での応援ボイコットなどにも発展し、「フロント・選手・サポーター 今こそ団結しよう」という団結幕の東城に至ったわけです。

しかしその後、横浜は高木監督の下まさにひとつに団結し、第2節の鳥栖戦に引き分けてから19節6月2日にアウェイで水戸に敗れるまでなんと
△△○○○○△○△○○○△△○
と15試合負けなし9勝6分の成績を残します。
この勢いのままJ2リーグを勝ち点93 26勝15分7敗61得点32失点で優勝。見事にJ1昇格を決めます。高木監督のJ2成績は26勝15分け6敗と言うことになります。

そして今年J1での戦い。アレモン、アウグストとの契約更新が出来ず、さらに城の引退と精神的支柱と、戦術面の支柱を失い、昨年とは戦い方を代えていかなければならない中、FWの軸として久保を獲得、さらに中盤のリーダーとして奥を獲得して、4-1-4-1での戦いを模索しましたが、第一の誤算は久保の怪我、そして奥の劣化でした。
久保が怪我により長期離脱すると、前線で軸になる城のようなタメが作れる選手がいないため、勢いディフェンスラインに過度の負担がかかり、昨年「ハマナチオ」とサポが自称した堅固なディフェンスは崩壊。
ある程度の苦戦は覚悟していたものの、現在の18位、勝ち点11、3勝2分17敗16得点48失点という成績につながっています。

しかし、和田、奥の重用など選手起用に首をひねることはあったものの、高木監督の采配をぼくはある程度評価しており、開幕当初考えていた4-1-4-1がパウロという駒を得てやっと完成しようとしていた矢先での監督交代には疑問をさしはさまざるを得ません。
おそらくは中断中、キャンプ前には新監督と契約して、という腹積もりがあったのが、契約に躓いてここまで高木監督を引っ張ったら、オッくんとパウロが目覚しくフィットして、なんとなく格好が付いてきちゃった、というところなのかもしれませんが、いずれにしてもやることが相変わらず遅いんだよ、馬鹿フロント。

来年の戦いを悲観的に捉えると、高木監督の出番はまだまだあった、と思ってしまうところもあるのですが、もう去ってしまった監督は戻りません。

高木監督には本当に感謝しています。負け犬に落ちようとしていた僕らと僕らのチームをJ2チャンピオンに引き上げてくれた、横浜FC最高の指導者でした。
ありがとう、高木監督。
またあなたと一緒に戦いたいよ。


さて、新監督、プレスリリースには全く切れ目がありませんでしたが、フリオ・セザール・レアル・ジュニオール監督は、以下のような経歴の持ち主。

Julio Cesar leal Junior(ジュリオ セザール レアル ジュニオール)プロフィール
■生年月日:1951年4月13日(56)
■国籍:ブラジル
■指導歴:

■その他経歴:
2006 FIFAワールドカップドイツ大会ブラジル代表テクニカルオブザーバー

すげぇ。
そのほか93年ブラジルU-20代表監督の経歴も持ってますね。

とにかくジュリオさんに託された役目はJ1残留のみ。
そのためなら何でもやってください。高木監督が僕らに見せてくれたようなマジックをあなたも見せてくれるのなら、僕らはあなたを歓迎しますよ。

でも頼むから今さらマンマークの3バックとかはやめてね。