プジョー206XT 10年10万km達成

9年5ヶ月前、1999年11月末に我が家にやってきたプジョー206XTが本日10万キロ走行を達成しました。
1990年8月、免許を取って初めて乗った実家の白いアコードは、就職と共にぼくの車になり、就職した年の6月まで活躍してくれました。1990年の段階で既に10年落ち近い1981年式2代目アコードは、105km/hを超えると速度警告ブザーが流れる年代物で、それでも高速道路でもそのブザーが鳴ることはほとんどない、アクセルベタ踏みでも110km/h程度しかでないオンボロでした。

それでも、当時の彼女とドライブに出かけたり、サークルの夏合宿では山中湖まで定員一杯の人間を乗せて走ったり、と大活躍してくれました。
しかし、就職した1993年の春、京葉道路を降りた幕張で、前の車に追突してしまい、修理代を払って直すよりは、と最初のボーナスで新しい車に乗り換えることに。

どうせ1人暮らしだし、2ドアの2BOXで十分だし、と4年落ちの89年式2代目黒いシティに乗り換えました。
低重心でなかなかキビキビ走るシティは、始めたばかりのカヤックを載せて千曲川まで行ったり、ふと思いついて大学時代の友人4人ですし詰めになって静岡までドライブに行ったり、と小さい車ながらフル活用しました。

そして1995年、次はこれに乗りたい、と思っていたRover 114がマイナーチェンジでフロント周りのデザインをがらりと変えてしまうことを知って、急いで最終ロットの青い114は、買った時からトラブル満載でした。
とにかく夏はオーバーヒートにおびえ、オルタネーターが焼き切れたり、高速走行中に突如エンストなどもありました。
そのため、車検を通した直後ではありましたが、1999年の春、発売されたばかりのプジョー206を契約したのです。

発売直後の人気のため、実際に納車されたのは11月となりましたが、それ以来10年にわたって、我が家の足として大活躍してくれた206。

自身初めてのスタッドレスタイヤも装着し、本格的ゲレンデエクスプレスとして、福島県内、そして志賀高原への足として、そして月に1度は向かう妻の実家の福島への足として、そして秋の軽井沢へのリフレッシュ休暇の足として、10年間でぼろぼろになりながら206はけなげに走ってくれました。

7年目くらいからエアコンのコンデンサ、マフラーが腐食して交換したり、昨年あたりからは屋根のコーティングがはげてきてまだらに白くなってきたりして、昨秋の車検直前には、エンジン部のアイドリング不調や、電気関係の不具合で車道でストップしてしまい、生まれて初めてトランスポーターのお世話になったこともありましたが、車検時にその2点を解消してからは、再び快調に走り始めています。

アイドリング不調がいろいろ見てみてもなかなか治らなかった時には、FIAT500への乗り換えなども検討しましたが、今みたいに快調に走ってくれればまだまだプジョーで行けると思っています。
燃費も14km/lくらいで安定しているし、機関、サスペンションにもガタは来ていないですからね。

サイズも我が家の2人+1匹という生活にはジャストフィットだし、狭い道でもストレスない小さくて丸い車体は、10年経ってもデザイン的に全く古びず、それどころか今になってワールドスタンダードが追いついてきたかのような有様。
全く古びた様子はありません。

ローバーの後、故障に懲りて日本車に乗ったりしていたら、多分自動車趣味からは足を洗っていたでしょうし、こんなに思い入れタップリには乗っていないと思います。
アフリカの大地で鍛えられたプジョーは日本でもすばらしい乗り心地を継続してくれています。
これからも一緒にたくさんの思い出を作っていきたいと思います。