こんなチームでごめん。

契約非更新選手のお知らせがあった昨年末以来、ぼくが再契約を望み続けた選手の移籍が昨日決定しました。

DF岩倉一弥選手ニューウェーブ北九州(JFL)へ

岩倉一弥選手(22)のニューウェーブ北九州(JFL)への完全移籍が決定いたしましたのでお知らせいたします。

岩倉一弥(いわくら かずや/DF 22歳)
■生年月日:1985年4月26日(22歳)
■身長/体重:179cm/73kg
■出身地:富山県
■チーム歴:OSAサッカークラブ-横浜FC
■岩倉一弥選手コメント:
「4年間応援ありがとうございました。新天地でも頑張りますので応援よろしくお願いします。」

岩倉は2004年、FWとして横浜FCに加入。奥寺社長(当時)の運営する奥寺サッカーアカデミー出身の選手として加入しました。
横浜ではルーキーイヤーから左右MF、SBとして出場し、将来を嘱望されました。

翌2005年には、夏頃から頭角を現して右MFとして先発出場の機会を得て、いよいよブレークの時かと思われました。
しかし、三ツ沢で行われた甲府戦、前半で4-0にされた後、3点取って盛り返した試合だったのですが、この試合終盤前線に飛び出していったところを甲府DFのタックルを受けて、右脛骨を骨折。残りシーズンを棒に振りました。

怪我がやっと癒えた翌2006年もシーズン当初は控えだったものの、右SBとしての先発出場のチャンスが与えられました。
しかし4月29日の湘南ベルマーレ戦で駆け上がろうと加速したところを佐藤悠介に右足を蹴り上げられて古傷である右すねを骨折、全治2ヶ月の怪我を負ってしまいました。
このシーン、僕はメインスタンドの目の前で見ていましたが、本当に残念なシーンでした。
岩倉が両用している間にチームは昇格争いに突入。怪我明けの選手が出場する余地はなくなってしまい、またしてもシーズンを棒に振ってしまいました。

しかし岩倉はまたもはい上がりました。J1初体験の2007年、シーズン序盤こそチャンスを与えられませんでしたが、CBにコンバートされながら持ち前のスピードとカバーリング能力で、降格争いのさなか、先発の座をつかみ終盤の横浜の帰ってきた堅守を小村とともに支えてくれました。
しかし、11月末、このチームでの彼の来年はないことが明らかにされました。
かれのポテンシャルを知るサポーターたちはすぐさま、彼との再契約をクラブに求め、ネット上等で声を上げていましたがその声はクラブには届きませんでした。
2月の城の引退試合にも横浜FCの選手としてプレー。再契約があるのかも、と最後まで気を揉ませたり、2chで川崎移籍が取りざたされたりという事もありましたが、結局は、水原、シンギという横浜ゆかりの選手が在籍するニューウェーブ北九州への移籍が決まりました。

岩倉の特長を上げるとスピードとカバーリング能力、そして出場24試合で一度も警告を受けていないクリーンなプレーが上げられます。
そのポテンシャルはJ2だけでなく、J1でも通用するものだということは、昨年終盤戦で証明しています。

北九州は今年からKyuリーグからJFLへステップアップし、Jへの準加盟も決まったこれからのチーム。
岩倉はまだ22歳と若い選手。そしてそのポテンシャルは横浜で彼のプレーを知る選手なら誰でも知っています。
まさにGK以外ならどこでも出来る選手で、スピードとカバーリングに優れた怖い選手です。
北九州がJの舞台に上がるまでJ2にいるかどうかは分かりませんが、もし敵として戦うことがあれば、経緯を込めて拍手を送りたいと思います。
試合中はブーイングだけどね。

そしていつかまた、ピッチを突進する岩倉に声援を送ることが出来ればいいな、と心から思います。


ありがとう岩倉。
ガンバレ岩倉。
あなたのポテンシャルを見抜けるチームじゃなくてごめん。
そして新天地では怪我に気を付けて、1年間フルに戦えるようにがんばってください。
さようなら。

岩倉一弥 横浜での戦績

2004年 J2リーグ戦2試合26分
2005年 J2リーグ戦7試合618分
2006年 J2リーグ戦7試合222分 天皇杯1試合90分
2007年 J1リーグ戦 5試合316分 ナビスコ1試合90分 天皇杯1試合90分