優勝に寄せて

平成18年11月26日17:52、ぼくたち横浜FCJ2リーグで初優勝を飾り、J1への昇格を決めた。その瞬間を佐賀で選手たちと一緒に戦った友人*1と電話を通して迎えて、電話を切ったあと、妻と抱き合って5分ほど泣いた。

ありがとう、みんなありがとう。

  • ヤマは年甲斐のないプレーでぼくたちを沸かせてくれた。新潟時代より断然輝いている。
  • ヨンデは横浜になくてはならない選手だ。決して器用な選手じゃないし、左サイドにおいておくとフィードも出来ない選手だけど、ボランチにCBにと縦横無尽にピッチを駆けた。MVPでもおかしくないとぼくは思う。
  • トモキチもMVP級の活躍を見せてくれた。右サイドで何度もチームを救うクロスを上げてくれた。
  • 今年も守護神として憎たらしいくらいにふてぶてしい守りっぷりを見せてくれたスゲ。スゲと一緒にJ1を戦えることがうれしい。
  • シーズン当初、うち向きじゃないなんて言って悪かった。ルイスはうちの攻撃の起点としてなくてはならない選手になった。
  • ハヤは高木就任でずいぶん化けた。見てられない不安定な右SBから横浜最終ラインになくてはならない選手になった。
  • 途中から出ても最初からでもいつでもゴールでぼくらを振るわせたアレモン、このまま来年も一緒にやろう。
  • まだまだ悩んで成長中のうっちー、でも今年は右サイドでずいぶんと吹っ切れた表情を見せてくれた。
  • 結果だけではない、プロの姿勢を選手たちに示してくれるカズ。まだまだやる気満々でしょう。
  • 重傷を負いながらもみごとカムバックし、神戸戦では最高のプレーを見せてくれたなかじ。大好きだ。
  • 左サイドでルイスと違うタイプのドリブルでペースを作ったタッキー。
  • CBの核としてシーズン途中から横浜を引っ張ってくれたオムさん
  • ソンヨンは途中加入で、右サイドの槍として何度も危機を救ってくれた。
  • 吉野はボランチのサブとして安定したプレーを見せてくれた。
  • コバヒロはなかじ負傷の時にその穴を見事に埋めてくれた。
  • 可能性は光ったものの脱皮まで至らなかった岩倉、ヨーヘイ、秋葉、大将。
  • 選手として正念場を迎える中なかなか結果が出せずに苦しんだツヨ、きたむ、トミ、室井
  • 試合には出なくても、横浜の土台に欠くことのできないこーやん
  • そして試合出場の機会はなくても一緒に戦う仲間として欠くことのできなかった光輝、広野、太田、吉岡
  • そして城。キャプテン城。城彰二。4年間で横浜のキングとして横浜を本当のプロクラブにしてくれた。来年も一緒に戦う望みはかなえられそうにないけど、ぼくらは絶対に城のことを忘れない。



フリューゲルスの消滅の決定が決まった1998年10月29日、そして消滅した天皇杯優勝の1999年1月1日。それから8年の時を経てぼくたちは再びJ1の舞台に帰ろうとしている。
消滅からいくらも時を経ない1999年のJFLを準加盟でとりあえず駆け出した横浜FCは、リトバルスキー監督のもとそのシーズンをJFL優勝で飾り、続く2000年20勝2分の無敗で2連覇を飾ると、Jリーグへの入会が認めらてJ2へステップアップした。

しかしJ2リーグ1年目を経験豊富な永井監督のもとスタートした横浜は2001年シーズン大苦戦。リーグ戦6連敗となった9月8日のアルビレックス新潟戦の1-5の敗戦後、永井監督を更迭。阪倉監督代行で1試合を戦ったあと、サッカー解説者の信藤健仁氏が監督に就任。状態は上向かなかったが、攻撃サッカーに可能性を見出しながら15勝1分28敗勝ち点43の9位に終わる。

ワールドカップイヤーの2002年は信藤監督の下、攻撃サッカーを志向、メディア向けに2-4-4と銘打った両サイドを高く張り1トップと1トップ下を置く4-5-1でシーズンを戦ったが、攻撃力以上に崩壊した守備のため、わずか8勝、失点は81にも及び最下位に沈む。理想実現に及ばなかった信藤監督はシーズン終了後退任した。

2003年JFL2連覇に導いたリトバルスキー監督が復帰。城が移籍加入など期待を持ちながらシーズンインするも、そのほかの補強に失敗し結局順位を1つ上げただけの11位に終わった。なんと言っても警告と退場が目立ったシーズンであった。福島・吾妻での新潟戦0-7の惨敗も今も思い出に残る。

2004年もリトバルスキー監督の下戦った横浜FC。開幕戦を優勝候補仙台に4-0で快勝後、8節まで負けなしを続けたものの、裏返せば勝ちきれない試合も多かった。しかし、カードコレクターだったマシューが日本のサッカーに慣れて中央でいい捌き役をこなし、ポストの城も大活躍などもありチーム最高の8位でフィニッシュ。次のシーズンの躍進が期待された。

しかし迎えた2005年はまさに暗黒のシーズン。リティとの再契約がかなわず迎えた足達監督は若手主体で育てるサッカーへの転換を謳い、基礎からしっかり身につける指導を行ったものの、シーズン前に右サイドの臼井を失い、攻撃力にも決め手のないまま横浜は下位をさまよう。
シーズン中盤、LEOC小野寺社長が筆頭株主となり活発な補強を開始。カズ、山口、望月と言ったビッグネームの補強を行いますが、シーズン序盤の不調を引きずったまま12位に沈みます。シーズン終了後にはルーキー5名を含む17名が戦力外に。シーズン最終戦は、GM、監督の挨拶がブーイングで全く聞こえないという最悪の幕切れを迎えた。

そして迎えた2006年シーズン、練習試合では学生以外に勝てず*2、そのままの勢いでJ2新加入の愛媛FCに0-1で敗れると、ここでやっと足達監督を解任し、今シーズンコーチに就任したばかりの高木琢也を監督に就任させた。
高木コーチの監督就任は半ば規定路線ではあったけれども、そこに至る過程が不明瞭であり、多くのサポーターがフロントに対して不信感をあらわにしたホーム開幕戦の鳥栖戦、応援拒否で手拍子も上がらない三ツ沢で、しかし高木横浜は0-0のスコアレスドロー。再生への道のりは遠いと思われましたが、なんと横浜はそこから15試合負けなしのJリーグ信記録を樹立。守備をベースにポゼッションでゲームを作る戦術が浸透し、柏、仙台、神戸と激しい昇格争いを潜り抜けながら、ついに51節優勝と昇格を決定しました。

ふう、長い道のりだな。この優勝をぼくはこの栄光の瞬間を一緒に迎えることの出来なかった選手たちにささげたい。
シンギ、ミズ、ナリ、コーヘイ、ヤマ(山尾)、コーサク、アリマ、たじ、スティーブン、ヨコ、マシュー、サコ、シンゴ、エイトマン高田、ジュンゴ、幸田さん、マチャ、廣長、たもっちゃん、大石、ヤブ、アダモ、一平ちゃん、カズキ、ルディ、烏賊、ナカザー、パベル、吉田、よしもっちゃん、ジャンボ、稲垣、ジェフ、サダ、うっきー、タイガーくぼたま、石田、栗田、ベベ、やすお、ヨーダレーマン、松田、モネール、遠藤、大柴、中尾、中丸、高田ヤス、ファニー、根子、高尾、犬飼、柴崎、橋本、佐々木、石橋、竹中、田中、早川寛、もっちー、ザザ、森崎、大槻、日比、高橋デコ、三浦マサキ、森、森戸、渡辺聡、奈良しんたろー、中村。
ありがとう、君たちの力でぼくたちはJ1の舞台に戻れることになりました。ピッチ上で見ることのなかった選手たちも含めて、みんなの気持ちも一緒にJ1に戻れることをとても嬉しく思う。

今日はとにかく祝杯だ。横浜との祝杯は来週末、三ツ沢で堪能しよう。今日は時にともに三ツ沢で戦い、大半の土曜日を一人で過ごしてくれた妻とワインでも傾けることにする。

*1:れおな夫妻、KEEPERさん、きもさん

*2:○4-0大津高校、△0-0Vファーレン、●0-1ロッソ、●0-3札幌、●0-4三星ブルーウィングス、○3-2神奈川大、●0-4マリノス