ブルーハーツのメッセージ〜「チェルノブイリ」と「イメージ」

87年5月メジャーデビューを果たしたThe Blue Heartsは1988年7月1日非公式な3枚目のシングル「ブルーハーツのテーマ」を自主制作で発表しました。
そのシングルの2曲目は「チェルノブイリ」という曲でした。

誰かが線を引きやがる 騒ぎのどさくさにまぎれ
誰かが俺を見張ってる 遠い空のかなたから

チェルノブイリには行きたくねぇ あの娘を抱きしめていたい
どこへ行っても同じことなのか

東の街に雨が降る 西の街にも雨が降る
北の海にも雨が降る 南の島にも雨が降る

チェルノブイリには行きたくねぇ あの娘とキスをしたいだけ
こんなにちっぽけな惑星の上

丸い地球は誰のもの 砕け散る波は誰のもの
吹き付ける風は誰のもの 美しい朝は誰のもの

ウクライナ(当時ソ連)のチェルノブイリ原子力発電所の事故の2年後に発表されたこの歌は88年、日本の新たな原子炉の稼働に抗議して作られた曲だといいます。

この曲はマーシーこと真島昌利の作詞・作曲です。

この曲が初めて演奏された1988年2月12日、ブルーハーツ初めての日本武道館ライブのアンコールでヒロトが、その日新たに稼働を始めた原子力発電所の話を5分以上し、「今言った事が何の事か分からん人は、自分で調べて、自分の意見を持ってほしい。」と前置きして、この曲を演奏したそうです。

原子力発電なんていらない。
核廃棄物という手に負えない廃棄物を生み出す上に一度制御不能になれば、人体に深刻な影響を及ぼす放射能をまき散らす原発などいらない。
誰にも汚すことのできない、誰のものでもない地球で、「あの娘」と仲良くしていたいだけなんだから、だれもそれを汚さないでくれ。
という単純明快なメッセージをそこには感じることができます。


ちなみにブルーハーツはパンクバンドにくくられることは多かったものの、それほどメッセージ性の高い楽曲を作るよりも、リリックな歌が印象的なバンドでした。


そしてその2年後の1990年、The Blue Heartsは「BUST WASTE HIP」という4枚目のアルバムをリリースします。
その1曲目が河ちゃんのジョン・エントウィッスル(The Who)を彷彿とさせるドライブベースをバックにヒロトが歌う、またもマーシー作詞・作曲の「イメージ」

お金があるときゃ そりゃあ酒でもおごってやるよ
お金がなけりゃあ イヤなことでもやらなきゃならねぇ
くだらねぇ仕事でも仕事は仕事
働く場所があるだけラッキーだろう

どっかの坊主が 親のスネかじりながら
どっかの坊主が 原発はいらねぇってよ
どうやらそれが新しいハヤリなんだな
明日はいったい何がハヤるんだろう

イメージ イメージ イメージが大切だ
中身がなくてもイメージがあればいいよ

針が棒になり 隣の芝生今日も青い
ミエをはらなけりゃ 何だかちょっとカッコ悪いな
カッコ良く生きていくのはどんな気がする
カッコ良く人の頭を踏みつけながら

金属バットが 真夜中にうなりをあげる
治療法もない 新しい痛みが走る
くだらねぇインチキばかりあふれてやがる
ボタンをおしてやるから吹っ飛んじまえ

レーベル移籍第1弾アルバムでバンド初のオリコンチャート1位を獲得した作品。
大ヒットした「TRAIN-TRAIN」の次のアルバムになりますが、それまでのストレートなビート/パンクロックからR&B色も濃くなったり、イメージのようなストレートな歌詞からひたすら円周率をマーシーががなり続ける「キューティ・パイ」等バラエティ
豊かな、その後のブルハの方向性を示した、というかこれからのブルハは好き勝手やると宣言したようなアルバムでした。
マーシーは「ブルーハーツの予定調和を打開しようとしていた時期」と当時のインタビューで語っているそうです。

どっかの坊主が 親のスネかじりながら
どっかの坊主が 原発はいらねぇってよ
どうやらそれが新しいハヤリなんだな
明日はいったい何がハヤるんだろう

そして

金属バットが 真夜中にうなりをあげる
治療法もない 新しい痛みが走る
くだらねぇインチキばかりあふれてやがる
ボタンをおしてやるから吹っ飛んじまえ

86年のチェルノブイリ事故の記憶もまだ新しい時に若者がまるで流行に乗るかのように反原発を口に出すことについて、マーシーはそれを本当に流行で終わってしまうのではないかと、痛みを伴いながら感じていたのではないか。
イメージだけで反原発を叫んではいけないのではないか。
イメージだけで原発反対を叫べるんなら俺が(終末への)ボタンを押してやる。


というメッセージが込められているのではないか、と僕には思えてなりません。

実際、90年初頭をピークに1999年の東海村核再処理施設での臨界事故までの9年間、国内でも一触即発の事故が起きてきたにもかかわらず電力会社はその事故について隠蔽を続け、マスゴミは巨額な広告収入を手にするために、原発については肯定的な記事しか載せないようになった。

それは左派が良識派と信じる朝日新聞も、右派が良識派と信じる産経新聞も、そして毎日も、読売も同じだ。
みんなアナグマ家族の出る東電のCMをかわいーと思ってニュースから天気予報へと番組が切り替わり、ガスでまかなっていた炊事、お風呂、料理、洗濯物の乾燥はオール電化というなんだかプレミアムでリッチっぽいイメージの中で電気を消費しないと生活できないようにし向けられていった。

勾配の少ない河川において、無理矢理上流と下流にため池を作って、そこに水を流して発電し、発電し続ける(発電をコントロールできない)原発の電力を使うために夜間電力でその水をくみ上げる、穴を掘って埋める拷問みたいな揚水発電を次々と開発もしていった。
エコキュートなるものもこの夜間電力を使わせるための電力会社の一つのテクニックでした。


この20年、日本人は原発についてあまりに寛容な歴史を過ごしてきたと思います。
そのツケが今回東京の電気のために福島の人たちが苦しむという最悪な事故を招いてしまったんだと思います。

そしてその警鐘ををブルーハーツは20年以上も昔から鳴らし続けてくれたのにな、と本当に心から悲しく思います。


僕は30年前の小学生時代、姉の高校の文化祭でどこかの左派の先生にたきつけられたらしい反原発に関する展示を見てから、「原発=こわい、いかんもんだ」、と思い、左翼的思想を抱きつつ反権力を旗印に教師に刃向かい続け、内心を下げられ(笑)、高校時代には大好きなパンクを通じてATOMIC CAFE FESTIVALへの参加や、非核都市宣言の署名運動に傾倒したりもしました。

大人になるにつれ、公平な思想を身につけて、万国史観、そして正しい日本史観を身につけて、ナショナリズムによらない、PATRIOTISMとしての愛国心を身につけた人間に少しはなれたか、と思う今でも、「原発はいらねぇってよ」、と思い続けていま
す。

ただその気持ちを表に出すことはあまりにも少なかったのかもしれません。
ぼくも原発に対しては寛容でありすぎたのかもしれません。
その結果として、福島にいる家族をストレスと放射線にさらさせている現状を思い、自分の無力と無策とこれまでの行いに対する悔恨の情にいっぱいになります。


90年に僕らはボタンを押すべきだった。
マーシーの歌う「終末」へのボタンではなくて「始めるための終末の」ボタンを。